英語の前に、日本語通じてますか?

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〇言葉が多いと見失う不思議

歴史が苦手という子に、
マンガの
歴史の本をオススメしました。

すると、すぐに挫折。

なぜか尋ねると、
「字が多すぎるから」

ゲームやアニメで
慣れてしまっている子たちは、
マンガですらダメなようなんです。

なるほど。

何かを言葉で過不足なく
表現しようとすると、
とても長い文章になって
返って分かりにくくなります。

例えば『言葉』を辞書で調べてみましょう。

[①人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。
感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。
言語。]

(『三省堂 大辞林 第三版』より抜粋)

こんな説明が⑩まで続きます。

文章だけ読んでいると何の
話だったか分からなくなってきそうです。

料理の仕方も、
文章よりも実際に見た方が
分かりやすいですよね。

言葉が多いと分かりにくい、
というのは確かにその通りです。

だから映像や、
最近はより分かりやすい
アニメーションが多用されるんです。

ですがそれに慣れてしまうと、
今度は言葉のやり取りが必要な
場面で困ってきませんか?

〇文章問題に想像力はいらない

【例文】
I went shopping in Nara.
(私は奈良にショッピングに行きました)

I bought some T-shirts there.
(私はそこでいくつかのTシャツを買いました)

【問題】
thereとは何を指すか?

 

すぐに答えられましたか?

there:そこで
という意味なので、
この
2文で場所を示すのは
Naraしかありません。

Nara以外在り得ないんです。

ですが生徒さんたちからは、
「ショッピングモール」
「服屋さん」
「ユニ〇ロ」
といった回答が飛び出しました。

私の目玉も飛び出しそうになりました。

そんな答え方をする方が
思う以上に居ます。

すんなり正解する生徒さんも
もちろん居ますが、
多くの方はちょっと回答に時間が掛かります。

文章問題は基本的に、
ほとんど全ての回答が文章中に
書かれています。

これは英語でも日本語でも同じです。

なので文章をきちんと
理解していれば、
または文章を読むテクニックを
持っていれば、
誰でも答えられるはずなんです。

生徒さんたちを見ていると、
分からない単語が出て来ると、
途端に自分の知っている世界に
物事を落とし込みます。

文章にショッピングとあれば、
日常的に身近な
ショッピングモールだと
思い込んで話を進めます。

Tシャツを買ったとあれば、
自分が良くTシャツを買う
洋服屋さんの名前が浮かびます。

たった2文の文章で答えが
見つからないということは、
長文になるともう悲惨です。

これは英語だけの問題じゃない気がしています。

〇日本語の本を読めない日本人

レッスンをしていて正直、
日本語すら通じていない、
言葉や物事を知らない方が多い
ということは薄々気づいていました。

ある生徒さんは英語を学ぶため
大金をはたいて英語学習本を
購入しましたが、
理解できないから助けてくれと持ってきました。

本を開いてみると半分以上は
日本語での説明で、
巻末の三分の一ほどに英語の
練習メソッドが載っていました。

どうやら最初の日本語の部分で
もう挫折していたようでした。

生徒さん:
「この本を置いていくので、
読んで次回私に教えてください」

な・る・ほ・どーーー!

いくらうまい文章を書いても、
分かりやすい言葉を使っても
無駄です。

長文ってだけでアウトです。
英語も日本語も関係ありません。
もうマンガですらだめです。

動画やアニメで説明しなきゃ
分かってもらえない時代です。

毎週ヒーヒー言ってUPしている
この記事だって
理解してもらえるどころか、
読んですらもらえないだろう
と思うと涙がちょちょぎれます。

仕方ない。
動画やるか。

とは思いますが、
本当にそれで良いのでしょうか…。

母国語はとにかくしっかり
学びましょう!

英会話の先生の私たちですが、
日本人の日本語力を憂いています。

本を読みましょう。

読んだ本のあらすじを
説明できる力を付けましょう。

自分の考えを自分の言葉で
説明する力を付けましょう。

どうせ自分は理数系に行くから
とお考えの方もいらっしゃる
かもしれません。

ですが論文はどこの大学でも
必須ですし、
他人とコミュニケーションを
取ることは生きていくうえで
避けて通れません。

〇語彙力貧乏な私たち

2018年秋に日本にやって来て、
最近は夫のミランも少しずつ
日本語が分かるようになってきました。

テレビを観ていて、
「えーっと、なんかー、ちょっとー、えー、へー、すごーい、ばっかりだね?」
と言いました。

確かに。

大事なことはテロップで
説明されていたりして、
司会者はボードを読むだけ、
出演者はリアクションする
だけだなと気づきました。

「なんか」
「すごい」
「ヤバイ」
を禁止したら、
私たちの会話は
「なんかすごいヤバイ」
ことになりそうです。
果たして続くでしょうか。

〇省略の文化、日本語

実際にこんな話がありました。

ある日車を走らせていると
中古車販売兼修理屋さんらしき
お店がありました。

GTR(車の名前)だ
売り物かな?
ちょっと見せてもらおうよ!」
とミラン。

お店の中に入って、

私:「すみません、外のGTR…

お店の方:「あ、あれね、
(手を横に振って)乗ってる!」

私:「ですよね、すいません」

乗ってる、
つまり売り物ではない車だったんです。

ミランに説明すると、

ミラン:「え、え、え?
ちょっと待って?
君たち今ほとんど会話して
なかったよね?!」

英語は『主語+述語』を
ハッキリさせて、
「何がどうした」
をまず語ります。

ですが日本語は、
「今から行くね」と言えば
「私が行く」ということが
暗に伝わります。

主語をはじめ、あれこれ省いて
全てを語りません。

日本語は【誰が】や【何を】等
「言わなくても察して」
という文化があります。

逆に多くを語ると野暮な感もあります。

これが日本語と英語の大きな違いの一つです。

〇でも本当にみんな察してる?

野暮だし面倒だから、
察して、
空気読んで、
と言葉を省略し、簡略化し、
私たちは本当にお互いを
理解し合えているでしょうか?

子供たちに限ったわけでなく、
私もあらゆる場面で、
これはどういう意味だろうと
考え込んでしまうことは
しょっちゅうあります。

しばらく海外に住んでいたため
私の日本語が鈍った可能性は
否めませんが、
私でなくとも日々誤解は
生まれていますよね。

先日こんなことがありました。

私と妹は、母の実家方の
お墓参りに行った後、
その近くの母の実家に行く
ことにしました。

妹が弟にメッセージを送ります。

妹:「〇日にお墓参りして
お母さんの実家行くけど、
来る?」
弟:「分かった」

そして当日。
待てど暮らせど家に来ない弟。

妹:「来るの?もう出るけど」
弟:「今(父方のお墓がある)○○寺」

説明しますと、
弟は父方のお墓参りに行く
のだと思い込み、
そこで私たちを待っていたのだそうです。

「何時にどこ」

これは人と会う約束をする上で
基本中の基本です。

それがまるっきり抜けていたんです。

姉弟という近しい関係
だからこそ余計に雑な約束
だったんですが、
それでもいい大人が待ち合わせ
すら出来ないとは!

ハッキリしっかり、
きちんと伝えないとダメだと
改めて思い知らされた
真夏のお盆の出来事でした。

〇分かり合えない私たち

そろそろ認識しましょう。

言葉を省略して、
結局私たちは分かり合えて
いないんです。

子供たちだけの話では
ありません。

面倒くさがっている場合では
ありません。

あれはこうだったのにと、
後々もっと面倒くさいことになります。

〇生きるためのコミュ力

私たち一般的な人間は
大自然の中ではとても弱い存在です。
クマやトラにはとても敵いません。

一人の力は微々たるもの。

人間は生き延びるために、
『社会性』という武器を持ちました。

社会性とはつまり、
それぞれが役割を持ち、
他の人々と協力し合うことです。

他の人々と協力し合うため、
コミュニケーションを取り合う
ことが私たち人間の生きる術なんです。

そのためには、
思うことを間違いなく
伝えられるかが大きな鍵です。

コミュニケーションスキルを
放棄するということは、
自分から他者との関りを
排除するということ。

何か突出したスキルがあれば
別ですが、
そうでもなければ生きることが
大変なものになるはずです。

トラブルを回避し
生き延びるためにも、
一つ一つハッキリと、
【何が】
【どこで】
【どうする】
を伝えていきましょう。

言葉は私たち人間が生存競争で
生き残るために得た重要なスキルです。

話すことが苦手なら
手話やジェスチャーを利用する
ことも可能なんです。

面倒くさいと言わず、
本を読んで、
会話して、
言葉を学び、
お互いの理解に努めましょう。

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